タイを紹介7(アユタヤ遺跡)

アユタヤ王朝(1351年 - 1767年)は現タイの中部を中心に展開したタイ族による王朝。

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14世紀から日本人のアユタヤ入植は見られたが、目立って勢力が大きくなるのは、15世紀後半から16世紀初頭にかけてである。特に、日本で徳川幕府による天下統一が成し遂げられ、戦が無くなったため、傭兵の形で雇われていた浪人の多くが失業、海外に働き口を求めたのが原因と考えられています。

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アユタヤ日本人町(アユタヤにほんじんまち)は14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった日本人町。15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。当時のアユタヤ中心地をチャオプラヤー川沿いに南に下った西岸にあり、ポルトガル人街とは相対の位置にあった。南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で1000?1500人の日本人(タイ族などの使用人を除く)が住んでいたと思われている。なお『暹羅国風土軍記』の資料では寛永期ごろのアユタヤ日本人町の人口を8000人と見積もっているが、日本人町の規模を考えると誇張と考えるのが自然である。アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族の使用人などで構成されていた。

と言うことです。

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それにしても、石像の首を全てハネられている風景は(*_*;


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